真田丸

小田原城に絶対の自信を持ち籠城戦を選んだ北条

北条氏政、氏直は豊臣秀吉の軍勢を小田原城で迎え撃つ体制をとります。

小田原城に籠城しながら、関東に配置した自慢の堅城で秀吉軍を叩き、小田原城からの援軍で挟み撃ちにする作戦でした。

そのため、城主の妻子を人質にとり裏切らないようにしていました。小田原城内にはたくさんの人質がいたそうです。

主だった城の城主は小田原j城の守りを固めるため、兵を引き連れて小田原城内に留まっていました。その結果、各城は城主不在となり、城代と家臣だけで守ることになったのです。

北条一門の中で、自分の城で戦ったのは、鉢形城主の北条氏邦だけです。

秀吉軍の攻撃を受けた北条方の城の多くは、たいした抵抗をすることなく次々降伏していきました。

城主不在の城がいかに弱いかを如実に物語っています。