真田丸

北条討伐 豊臣秀吉は米20万石を準備して長期戦を覚悟

名胡桃城事件をきっかけに小田原北条討伐を決めた豊臣秀吉は、20万ともいわれる大軍で侵攻しました。

早雲から氏直まで5代にわたり、関東地方に君臨する北条氏は、200万石を超える所領を持ち、最大動員兵力は5万ともいわれていました。

国衆との結びつきも強いことから、小田原城を陥落させるには少なくとも1~2年はかかると覚悟していた秀吉は、長束正家に命じ米20万石を用意させたと伝わっています。

開戦当初は兵糧が不足していたため、破格の金額で米を買い取っていた秀吉ですが、準備していた米が到着すると兵粮に余裕がでて戦いを有利に進めました。

北条方では、秀吉軍は寄せ集めの軍勢であり、やがて兵糧不足から内部分裂すると読んでいたのです。しかしその目論見は外れ、各地の城を次々落とされ、小田原城は孤立無援の状態に追い込まれました。