1591年1月豊臣秀長が死去。さらに8月には秀吉の実子鶴松もこの世を去ります。
この時点で後継者候補は秀吉の姉ともの三人の息子秀次、秀勝、秀保だけです。
秀保は秀長の養子となり家督を継いでいたため、実質秀次と秀勝の二人となります。
これまでの実績からいっても後継者は秀次しかいない状況です。秀吉は秀次に関白職を譲り自らは太閤となりました。
秀吉は朝鮮出兵に専念するため肥前名護屋城に移り、秀次が聚楽第で政務を執ることになったのです。
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