暮らしと生活便利館

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2016年07月12日

豊臣秀次高野山送り 石田三成ら奉行衆による詰問

1595年7月3日秀吉は豊臣秀次に対し詰問の使者を送ります。 使者として派遣された者は石田三成たち奉行衆です。 聚楽第に居た秀次は使者の口上を聞き驚愕します。自分に謀反の疑いがかけられていたからです。...

2016年07月11日

拾(ひろい)の誕生でノイローゼになった豊臣秀次

1593年豊臣秀吉と淀君の間に第二子が誕生します。 早世した鶴松の幼名は「棄て子は育つ」という迷信から棄(すて)と名付けられましたが、今度は拾(ひろい)という名に決まります。 実際に一度道に捨てさせ、...

2016年07月09日

鶴松の死で関白となった豊臣秀次

1591年1月豊臣秀長が死去。さらに8月には秀吉の実子鶴松もこの世を去ります。 この時点で後継者候補は秀吉の姉ともの三人の息子秀次、秀勝、秀保だけです。 秀保は秀長の養子となり家督を継いでいたため、実...

豊臣秀次100万石の大大名

小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は家臣に対し論功行賞を行います。 このとき豊臣秀次は尾張と北伊勢のうち五郡を与えられました。 秀次の所領は近江20万石(宿老の所領も合わせて43万石)から尾張、北伊勢五...

2016年07月08日

豊臣秀次の所領と宿老

豊臣秀吉は四国の長宗我部元親を服属させた後に論功行賞と配置替えを行います。 このとき豊臣秀次は近江八幡山城主となり20万石を与えられました。 さらに、秀吉の家臣であった中村一氏、梶尾吉晴、山内一豊らが...

豊臣秀次は秀吉の甥で養子になった人物

豊臣秀次は豊臣秀吉の姉ともの長男です。 宮部継潤(みやべけいじゅん)や三好康長(みよしやすなが)の養子となったのちに、子どものいなかった叔父秀吉の養子となります。 秀次には秀勝と秀保という弟が二人いま...

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