2022年1月アーカイブ

伊東祐親の娘八重(やえ)は、父が京都大番役で家を空けている間に源頼朝と恋仲になります。

音無神社で密会を重ねた八重と頼朝の間にはやがて千鶴丸が誕生しました。

3年の務めを終え帰国した祐親はふたりの仲を知らされ驚きます。

追い詰められた祐親は自分の孫でもある千鶴丸を殺害し、さらに八重と頼朝を別れさせるため、強引に江間次郎(えまじろう)の元に八重を嫁がせたのです。

八重が再嫁した江間次郎ですが、どのような人物なのか記録がほとんどありません。

北条義時は江間小四郎を名乗っていた時期がありますが、江間次郎と義時は別人だとする考えが一般的です。

江間次郎と八重は千鶴丸を弔うため「西成寺」を建立したとの言い伝えがあり、その西成寺は現在 「最誓寺(さいせいじ)」と名を変え静岡県伊東市に存在しています。

頼朝の子千鶴丸を殺害した伊東祐親

伊東祐親(いとうすけちか)は伊豆国の豪族です。

平家の後ろ盾を得た祐親は、伊豆国で一番の勢力となり、配流となった源頼朝の監視役でもありました。

祐親が大番役の務めを果たすため京都に滞在している3年の間に、祐親の娘八重(やえ)と頼朝は密会を重ね子供(千鶴丸)までつくっていたのです。

京から帰国した祐親はそのことを知り激怒します。

平家に知られたら大変なことになると考えた祐親は千鶴丸の殺害を家来に命じます。

千鶴丸はおもしの石を括り付けられ川に沈められ殺害されました。

さらに祐親は頼朝を捕らえようとしますが、祐親の子祐清(すけきよ)が頼朝を助け北条館に逃がしたのです。

北条義時は1163年生まれ

北条義時(ほうじょうよしとき)は1163年に北条時政(ときまさ)の次男として誕生しました。幼名は不明、通称は小四郎(こしろう)。

鎌倉幕府の執権(しっけん)として絶大な権力を握った北条氏ですが、義時が誕生した当時は伊豆国の小さな豪族でした。

義時には同じ母の兄宗時(むねとき)がいますが、宗時の誕生年は不明となっています。

本来は宗時が北条家を継ぐ予定でしたが、石橋山の戦いで討死してしまったため義時が家督を継承しました。

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