軍師官兵衛

黒田官兵衛家督を長政に譲り隠居

1589年5月、黒田官兵衛は家督を嫡男の長政に譲り隠居の身となります。

官兵衛は1546年生まれですからこのとき43歳、長政は22歳です。現在よりも平均寿命が短った戦国時代ですが、それでも隠居には早すぎる年齢です。

官兵衛が突然長政に家督を譲った理由は不明ですが、豊臣秀吉に警戒されていたためとする説が通説となっています。

秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)を相手に「わしが亡くなったら天下は誰がとるか」と尋ねます。御伽衆は徳川家康や毛利輝元、前田利家などの名をあげますが、秀吉は「それは官兵衛である」と言います。

その話しが官兵衛の耳にも届き、秀吉の猜疑心を晴らすために隠居を決意したとされています。

その他には、猪突猛進タイプの武将であった長政を心配した官兵衛は、家督を譲ることで長政に責任感を持たせようとしたとする説もあります。

秀吉は官兵衛の隠居と長政への家督相続を一応認めますが、秀吉の元を離れることは許しませんでした。まだ、官兵衛の知略を必要としていたのでしょう。