西郷隆盛

稚児頭(ちごがしら)と二才頭(にせがしら)

薩摩藩士の子弟のうち、6歳~15歳の子どもは稚児(ちご)、15歳~25歳の青年は二才(にせ)と呼ばれました。

藩士の子どもたちは町(郷中 ごじゅう)ごとにグループ分けされ、年上の者が年下の者を教育しました。

それぞれの町にはリーダー的存在の稚児頭(ちごがしら)と二才頭(にせがしら)がいて、西郷隆盛は下加治屋町郷中(したかじやまちごじゅう)の稚児頭となり、やがて二才頭になったとされています。