西郷隆盛

赤山靱負(あかやまゆきえ)の墓

お由羅騒動(高崎崩れ)は、薩摩藩主島津斉興(しまづなりおき)と嫡男斉彬(なりあきら)の対立から生じた御家騒動です。

斉興の側室お由羅(ゆら)の暗殺を企てたとして、斉興が斉彬派の家臣たちを処分しました。

14人の家臣が切腹を命じられ、その中には日置島津家(ひおきしまづけ)の赤山靱負(あかやまゆきえ)もいました。

28歳という若さでこの世を去った赤山靱負は、日置島津家の菩提寺である桂山寺(けいざんじ)に葬られます。

現在、赤山靱負の墓は鹿児島県日置市の桂山寺跡にあります。