真田丸

岩櫃城(いわびつじょう)をすすめた真田昌幸は北条氏邦に手紙を送っていた!

武田勝頼が新府城を捨て退却するときに、真田昌幸は自分が城代をつとめる岩櫃城(いわびつじょう)へ向かうことをすすめたことはよく知られています。

「岩櫃城は守りが堅く数年分の兵粮が蓄えてある」と説いたとされています。

側近が反対したことで、勝頼は小山田信茂の居城岩殿城へ向かうことを決断します。

しかし、これより以前に昌幸は北条氏邦に二度手紙を送り服属したい旨を伝えています。さらに織田信長にも手紙を送っていたようです。