真田丸

後藤又兵衛の首と墓、又兵衛の生存説

大坂夏の陣 道明寺の戦いで伊達政宗軍の鉄砲隊に銃撃された後藤又兵衛は家臣に命じて首を打たせました。

又兵衛の首は敵に取られないよう家臣が運び泥田の中に埋めたとされています。そのため、又兵衛の首の所在は不明となっています。

又兵衛の家臣吉村武右衛門がのちに掘り出し、又兵衛の親類が住職をつとめる伊予国の長泉寺に葬ったとする伝説が残っています。

■又兵衛の墓
又兵衛の墓は全国に複数存在しています。

・先程紹介した長泉寺には供養塔があります。

・又兵衛の故郷兵庫県加西市の多聞寺には位牌があります。

・鳥取の景福寺には遺髪を埋めた墓と妻子の墓があります。

■又兵衛生存説
・奈良の宇陀には落ち延びた又兵衛が僧侶となったとする伝説があり、「又兵衛桜」と呼ばれる垂れ桜(しだれざくら)が観光スポットになっています。

・大分の中津にも又兵衛が生存していたとする伝説が残っています。中津は黒田家の領地であったことから、又兵衛の妾が住んでいて、落ち延びた又兵衛が住んでいたといわれています。