真田丸

真田信伊(さなだのぶただ)

真田信伊(さなだのぶただ)は、真田幸隆ととり(恭雲院喜山理慶大姉)の四男です。

武田信玄の家臣となり甲斐の名門加津野家を継いだため加津野昌春(かずのまさはる)を名乗っていました。

武田が滅亡した後は徳川家に仕え、旗本として4000石の知行を与えられ、家は幕末まで存続しました。